志士と距離と変化

黒船。アメリカ、エゲレス。幕末の志士たちは、時代の変わり目とともに生きていた。彼らは何を思って生きてたのだろう。僕たちも今、時代の変わり目に生きていると言っても過言ではない。もしかしたら、近い将来戦争が起こる可能性だって否定はできない。志士たちは何を思ったか。地平線の彼方に何を見たのか。少し思いをはせてみた。

 

志士 

幕末の志士たちが今の僕たちを見たら、どう思うのだろうか。「立派に子孫たちは生きている」そう思ってくれるだろうか。「今の若者は〜」とか右翼左翼とか、そういう話ではなくて、もっと大きなものの話だ。志とか、夢とか。

太平洋を挟んだ向こうに何があるのか、アメリカはどのような場所か。エゲレス国には何があるのか。黒船はどのようにして動いているのか。気取った言い方をするならば、当時は「浪漫」があったような気がする。

幕末の志士たちは迫る異国から日本を守ろうとしていた。そのアプローチの仕方は違くとも、目標は一つだったはずだ。そのような彼らを僕は羨ましいと思うし、尊敬の念も抱いている。彼らと僕らは何の違いもない。日本という国に生まれた人たちだ。

 

距離と変化

けれど何か違う気がする。交通機関の発達やメディアの変化。そのようなものが僕らを変えてしまったのだろうか。

わざわざ帆船に乗船しなくとも、チケット料金とパスポートさえあれば、僕らはどこへでも行くことができる。アジアを超えヨーロッパに行くことも。太平洋を越えアメリカに行くことも。

僕らはいつだって気持ちを伝え合うということができる。LINEがあればメッセージを打つことができる。電話をすれば、数駅離れた場所だろうと、海外だろうと声を聞くことができる。

このようなもので距離が「あるのに感じない」という様に変化した気がする。確かにいつも会う人たちと離れると多少の寂しさを感じる。しかしその寂しさは、志士たちが彼らの家族に感じた寂しさとは比較にならないだろう。

距離が距離ではなくなった。果たして、それが幕末の志士たちと、僕らの違いの原因なのだろうか。

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