#17:『アシュラ』レビュー

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人間とは。獣とは。人間を、人間たらしめる理由とは何なのか。生きるとは。そのようなものを、観客に迷いなく突きつけてくる作品『アシュラ』。

 【作品情報】

題名:『アシュラ』

監督:さとうけいいち

声優:野沢雅子北大路欣也 他

原作:ジョージ秋山

制作:東映アニメーション

 

【ストーリー】

15世紀中期、相次ぐ洪水、旱魃飢饉で荒野と化した京都。それに追い討ちをかけるように始まった日本史上最大の内戦・応仁の乱

このような時代に産み落とされたアシュラは「ケダモノ」として生き抜いていく。

そんな時一人の少女・若狭の優しさと愛、そして法師の教えに触れ、アシュラは次第に人間性を備えていく。言葉を覚え、笑い、喜ぶ日々。しかしそれは苦しみと悲しみの始まりでもあった。やがて天災と貧困が起こり、人間性を失っていく人々。ついには若狭さえも。果たしてアシュラの運命は。

 

【レビュー】

冒頭。火災から逃げまとう人々。燃え尽きた廃屋で出産する一人の女性。この母親は飢えに耐えられなくなり、次第に理性を失っていく。死体の腐肉までも食べてしまう。そして最終的には自分の子供までも喰らおうとしてしまう。

 

生きるとは何か

これほどの衝撃的なアニメーションを僕は観たことがなかった。アニメーションだけではないかもしれない。「自分の子を食らう」というのは地獄行きとかそのような問題ではなく、倫理とかそのようなものさえも超えた大罪だと僕は思う。いくら世が飢餓でもだ。このような背景を持ちながら、少年は生きていく。しかし彼は人間として生きるのではなく、獣として生きている。人肉を喰らう。血が吹き出るのも気にしていない。

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この時点で僕たち観客は、「生きる」とは何か。ということを問いかけられる。人が人を喰らう。そこまでして、この少年は生きたいのか。そもそも少年としてコヤツを見てよいのか。「生きるために食べる」という意識さえもなくなり、動物としての本能に従っているのではないか。ならばコヤツに罪はあるのか。ないのか。

 

アシュラと法師

このような問いが浮かび上がる中、この少年は法師に出会う。この出会いは彼に多大な影響を及ぼすこととなる。二回出会うわけだが、一回めは「ケダモノ」として。二回めは「人間」として。少年にひたすらに問いかけ、諭す。責めることはせず、ただ「人間とは」ということを教える。

『怒り、嘆き、傷つき、殺す。お前は苦しみの炎を背負っておる、「阿修羅(アシュラ)」今日からそう名乗るが良い。』

法師は獣同然の「生き物」に名前を付けたのだ、『阿修羅(アシュラ)』と。

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この後アシュラは、彼を人間たらしめる人物と出会うことになるのだが、この人のことも、法師との出会いがなければ、すぐに喰らっていただろう。この人物と出会い、言葉を覚えアシュラは人間に近づく。徐々に徐々に。少しずつ。しかし、人間性を取り戻したが故に、アシュラは苦しむ。獣のままであれば、苦しむことはなかったのに。人間でいると幸せなのか。終盤での「人間」たちの変わりようにも注目してほしい。

アシュラが母親の姿を誰に感じ取っているか。どの場面で感じているか、など繊細な表現もストーリーの流れを邪魔することなく、描かれている。声優陣も圧巻の演技だった。野沢雅子さんのアシュラの獣から人間になるまでの過程の表現。北大路欣也さんの法師の声。心に響くような声だ。

 

何が人間を人間たらしめるのか。

今作を見ていると、自分が何者なのかが分からなくなってくる。飢餓は現在の日本では起こっていないが故に、アシュラのような人間はいない。世界中でも人間を喰らう人など稀なことだろう。「何が人間を人間たらしめるのか」という問いに対し、答えはあるのか。道具、言葉。そのようなものが「人間たらしめるのか」。たった、それだけなのか。もしかしたら、この問いに答えはないのかもしれない。

原作の漫画の方も読んでみたいと思う。『アシュラ』の評価は、

10点満点中 8点

是非鑑賞してみては。

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