文庫本とハードカバー

ハードカバーの本を最近めっきり読まなくなった。文庫本がほとんどだ。特に「文庫本しか買わない」というこだわりなどもない。なぜだろう。

小さい頃。誰でも、絵本を読み聞かせてもらっていたはずだ。厚紙を重ねたような表紙。僕のお気に入りだった絵本は、『すてきな三にんぐみ』と『三びきのやぎのがらがらどん』。この2冊は後々レビュー・感想の記事を描こうと思っている。それくらい好きな絵本だ。

小学生。図書室・朝の読書の時間でみんなが読む本といえば『かいけつゾロリ』シリーズだった。奪い合いになっていたくらい。この巻は今誰が持っているとか、クラス内で共有して全巻コンプリートを目指したものだ。『かいけつゾロリ』の本はハードカバーとまではいかないけれど、それなりの堅さの表紙だ。中学に入学し、『かいけつゾロリ』を読まなくなった。誰に禁止された訳でもない。ただただ僕たちは、それを読まなくなった。

小学校高学年。僕は『ハリーポッター』シリーズを読み始めた。この時まだ文庫本のバージョンは、売っていなかった。『ハリーポッター』シリーズは、ハードカバー中のハードカバーという感じだ。図書室で借りて電車で読む。これが大変。朝の電車で続きを読もうとすると、より大変。他の人にも迷惑になる。ハードカバーである上に角が当たるのだ。自分の手でそれを抑えながら読んだ。文庫本の『ハリーポッター』が出たらいいな。そう思っていた。すると少し後に文庫本を本屋で見つけた。

中学生。小学校の図書室よりも、はるかに大きい図書室。ハードカバーは見当たらなくなる(奥の方に絵本はある)。最初の方は『ハリーポッター』を読み直したりしていたのだが、文庫本を読むように。文庫本は何よりも携帯するのが楽なのだ。ハードカバーよりもはるかに楽。電車で本の角を抑えなくてもいい。その時に読んでいたのは星新一のショート・ショートのシリーズ。SFなのだけれど、どこか現代への皮肉も込められているような話。それ以来文庫本以外の本を読んだ覚えがあまりない。文庫本ではないものでも、ハードカバーではなく、紙の表紙のもの。

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文庫本とハードカバー。今はハードカバーと同時に文庫本版が出たり、電子書籍が出たり。色々な形態で同じものが世に出ている。自分は(朝の電車以外)ハードカバーは好きだ。程よい重さが「本を読んでいる」という感じにさせてくれる。文庫本は文庫本でいい。手のひらに収まるサイズ。ハードカバーだと2巻くらいの物語が、何巻にもなっていたり。その辺が面白いし、好きだ。

表紙もそれぞれに違いがある。例えば『ハリーポッター』。

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上の画像はハードカバー版だ。この表紙の絵がたまらない。鉛筆で書いたような、油絵のような、クレヨンのような。その物語の雰囲気によって、表紙の雰囲気も違う。数あるほんの表紙の中で大好きな表紙だ。それに対し文庫バージョン。

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本屋で最近よく見るのだが、表紙が好きじゃない。中身が同じならいいだろう。という人もいるだろうけれど、やはり第一印象は大事だ。「紫の背景に白い箒のイラストってなんだよ」と最初思ってしまった。他もイマイチパッとこない。続いてリニューアルバージョンの文庫も発売された。

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 確かに前のバージョンよりはお洒落な感じだ。しかし今度は「ハリポタ感」がほぼなく、他の文庫の表紙と似通ったものになってしまっている。影をつけたチェス盤を『賢者の石(上)』にしたって、その場面は出てこないだろうと思う。だから『ハリーポッター』はハードカバーの方が好きだ。他にもナルニア国物語も同じだ。ハードカバーの方が好き。

何か文庫本批判のようになってしまったが、これだけは言える。

僕は本が好きだ。

文庫本とハードカバー。どちらがいいのだろう。どちらでもいいのだろうけれど。

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