今思い返してみると。

校庭を思う存分走り回り、昼休みが終わると脇腹が痛いまま五時間目を受けた。どうでもいいことで笑ったり、小学生の時が一番充実していたんじゃ無いかってくらい。そんな眩しい日々もあったなあ。いつからだろう、疲れを感じ始めたのは。小学生の時は「疲れ」というものの存在さえ知らなかったような感じだ。

僕の小学校は1クラスが20人いくか、いかないか。そんな小学校だった。さらに学年に1クラスしかない。それだから、僕たちは1年生の入学時から6年生の卒業時まで、ずっと一緒だった。多分誰にとっても、小学生だった時間は、中学生とかよりも楽だったのではないかと思う。

その時の将来の夢なんてものは、現実的なものではなかった。僕なんかは、映画『パイレーツ・オブ・カリビアン』が大好きで、将来の夢は「海賊」なんて時期もあった。今考えると、変な夢だなあなんて思うけれど、その時は、それがやりたいことだった。過程がどうだとか、なれるわけないとか親も特に言わなかったし、自分にとってはそれが「出来ること」だと思っていた。

でも今はどうだろう。進学したい大学を考えたり、将来就きたい職業になるための具体的な過程を考えたり。先へ先へ。「今やっていることは、将来のための備えだ」。誰もがそう言う。

もちろんそうだろう。今努力するかしないかで、将来は変わるだろう。けれど、先を見てばかりでは面白くないこともあると思う。今しかできないこと。そういうことが必ずあるはずだ。今やらなければ、もう一生できないこと。色んな音楽を聴いたり、本を読んだり、映画を観たり。

大人になったら、ある程度「自分の考え、信念」みたいなのが形成されてしまうと思う。それはいいことだ。しかしそうなると、自分の考えに合わない考えを拒絶してしまうと思う。自分もきっとそうなる。

他の人の考えを受け入れ、認める。それは誰もが思う理想。そういう人はきっといるだろう。自分がそういう人になれるか。その自信はない。そのようになれるように努力はする。そうなりたい。けれど、気付かない内に、他の人の考えを拒絶してしまうのだろう。

その「自分」を作るのは何か。今の時期に出会ったものによってだろう。人・本・映画・音楽。今思い返すと、出会ったそれらによって、自分が形成されているのだとさらに実感させられる。

カフェとか買い物が好きだったりするのは、多分一人っ子な上に母親によく連れられたからだろうし、歴史が好きなのも、『インディ・ジョーンズ』とか『ハムナプトラ』の影響なのだろう。建築に興味があるのも、レゴブロックで遊んでいたからだろう。思ったよりも、多くのものに感化され、人は自分を作り上げていく。これから出会うものによって、自分はいくらでも変わることができる。出会ったものは手当たり次第、興味のあるものは手当たり次第調べ、自分の蓄えにしていく。そのようにしていきたい。そう思う。

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