数え切れぬ問いに対する答えを求めて。

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自分とは何なのか。自分は精神的に強いのか。

それを知るため、自分の精神を強くするため、修行をしたい。

映画の見過ぎかもしれない。クリストファー・ノーラン監督、クリスチャン・ベール主演のバットマンのオリジンストーリーを描いた『バットマン・ビギンズ』で主人公のブルース・ウェイン(後のバットマン)は放浪する。

ブルースはあてのない放浪生活を続けました。
悪事をすれば悪のことが理解できるかもしれないと考えたブルースは、些細な犯罪をおかして(市場で万引きした)刑務所に入ってみたりもします。
ヒマラヤでヘンリー・デュカートという男に声をかけられたブルースは、ラーズ・アル・グールという男性が率いる〝影の同盟〟のメンバーとして訓練を受けました。超人的な力を身につければ別の存在になれるといわれたブルースは、その日から鍛錬の日々を送ります。
デュカードに徹底した訓練を受けたブルースは、その過程で〝恐怖を支配するにはまず、恐怖を克服せよ〟と言われました。自分が最も恐れているコウモリの恐ろしさを克服したブルースは、より強くなります。
ところが〝影の同盟〟から自分の故郷ゴッサム・シティを破壊しろと言われたブルースは、それはできないと断ります。確かにゴッサム・シティには悪人もいますが、罪のない一般人を巻き込むわけにはいかないと思ったからです。
処刑人にはなれないと否定したブルースは〝影の同盟〟と対立しました。ブルースはラーズ・アル・グールと戦い、館を破壊します。ラーズは倒れて来た柱の下敷きになり、館は焼失しました。ブルースは恩師であるデュカードを助けて、立ち去ります。
ブルースはゴッサム・シティをよくしようと考え、故郷に戻りました。

映画「バットマンビギンズ1」ネタバレあらすじ結末 | hmhmより)

自分でも、この映画に影響されていると自覚している。 僕はバットマンになりたいわけではない。自警団のようなものを作ろうとしているわけでもない。確かに『バットマン・ビギンズ』は物語だ。現実にないものだ。しかし人が物語に心を揺さぶられ、何かしらの行動を起こす、ということはよくある。

ブルース・ウェインは「恐怖を支配するには、まず恐怖を克服せよ」と言われる。僕が恐怖しているもの。コウモリか、違う。何か。それすらも分からない。自分は精神的に強い人間だと言えるか。いや、違う。精神的に弱いか。きっとそうだろう。何か思いがけないことが、自分に起こったとして、それを乗り越えられるか。形式的には乗り越えられるかもしれない。精神的に完璧に乗り越えられるか。きっと乗り越えることは今の僕には出来ない。そのままでいてもいいのか。そう思うのだ。

そのような自分を変えたいがために読み始めたのがこの本だ。

マインドフルネス

マインドフルネス

 

『マイインドフルネス 気づきの瞑想』。この本の内容についてはまた別の機会で書きたいと思うが、自分の中でこの本に出会ったことはなかなかの衝撃だった。「生と死」などの普遍的なテーマ、ヴィパッサナー瞑想の方法など細かく書かれていて、余計に「自分は精神的に強いのか」という問いについて意識させられた。

禅についての本を読んだ。チベット仏教についての本も読んだ。聖書も読んだ。しかし聖書に感銘を受けるということはなかった。「神が救ってくださる」というのは少し僕の考え方に合わないのだ。自分で力で生きて、自分を変えられるのは自分しかいない。そう思うように最近なった。神はいるかもしれない。いないかもしれない。いたとしてもその考え方は変わらないだろう。

ただ禅・チベット仏教については感銘を受けた。この二つに共通するものは何か。仏教だ。本を読むだけでそれらのことを学べるか。いや違う。実際に体感してみないと本質的に学ぶことはできないと、僕は思っている。日本かチベットか。

どちらも学ぶことは出来ないのか。禅とチベット仏教。そんなことが自分に出来るのか。そのための費用はどうするのか。いつ行くのか。チベットは現在中国の自治区となってしまっている。ということはいくつかの場所を迂回してチベットに入境しなければならないということだ。その点禅について学ぶには日本国内なので安心だ。けれど「自分が誰なのか。自分の精神を強くする」ということなのに安心安全なルートを「求めていいのか。ある程度の危険はつきものなのではないか。

自分がこの先どうするのか。本当に行くのか。「行きたかったなあ」というだけで終わるのか。自分の問いに答えを見つけられるのか。まだ分からない。

「自分探しの旅」は無意味だ。なぜなら自分は自分で違う場所にいるわけではないのだから。

誰かが言っていた。確かにそうだ。自分探しの旅は無意味かもしれない。しかし自分が今考えているものは自分探しではなく、「自分自身の問いに答える旅」だと思う。自分はここにいる。しかしそれでも自分という人間が何なのか。精神的に強いのか。弱いのだとしたら、どうしたら乗り越えられるのか。この旅を終えた後に自分が見る世界というのはどのように変わるのか。数え切れないほどの問いに対する答えが、チベットや日本のどこかにあると信じて。

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