#6:『千と千尋の神隠し』レビュー

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千と千尋の神隠し/Spirited Away】

公開日:2001/7/20

監督・脚本:宮崎駿

 

【ストーリー】

引越し先へ向かう途中に道に迷い、トンネルの向こう側へ行く10歳の少女千尋とその両親。千尋の両親はそこにあった店先の食べ物を断りなく食べてしまう。千尋はその場所を見学しようとした。すると同い年くらいの少年に出会う。千尋を見た彼は「ここにいてはいけない」と言い放つ。元に戻ろうと両親の元へ行く、千尋。しかし彼女の両親は豚になっていた。夢だと思い込もうとする千尋。しかし再び少年と出会い、彼に助けられる。彼の名は「ハク」。湯屋で湯婆婆の元で働く少年だ。湯婆婆と交渉をし、両親をも人間に戻すため、湯屋で働き始める千尋。様々な人物と出会い、成長していく千尋。果たして千尋は自身の両親を人間に戻し、元の世界に帰ることができるのか。

興行収入300億円を超え、日本歴代興行収入1位を獲得。アカデミー賞をも受賞しジブリ史上最大のヒット作となった、宮崎駿の織りなす幻想的な世界と千尋の成長を描いた物語。『千と千尋の神隠し』。

 

【感想】

スタジオジブリの中で一番と言っても過言ではないくらい、世界にも有名な作品『千と千尋の神隠し』。これも以前紹介した『紅の豚』と同じく、映画館で鑑賞することが出来た。

moon-fim2001.hatenablog.com

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 千尋が映画序盤で「夢だ夢だ」言っているのに周りでは次第に店の明かりがつき、神様がどんどん現れる時の困惑する様子が特にセリフがなくてもこちらに伝わってくる。釜爺やリンに出会い支えてくれる人達と出会い、名のある河の神を癒やすと言う功績を認められる千尋

ここなのだが、「千と千尋の神隠し」では差別も描いているのだと思う。隔離などの差別ではないが、日本人が持つようななんとなく距離を置くような「差別」。ハクが千尋に職を与える時にみんなが言った「人間臭いからやだ」「使い物にならない」などいじめや差別にも共通するような発言などからそう思う。またリンの下で働くようになっても汚い風呂場を洗わさせられたり、千尋が小さいから特に問題はない。人間であるにもかかわらず、働かさせてもらっているから当然だと言うような偏見からの行動等。のちに千尋が名のある河の神を癒し褒美に金をもらった時も、誰も千尋に感謝などせず、金に目をくらませていた。彼らにとってこの時点では「いいものを神からもらってきたではないか。」というような感じに見える。

しかし最後の場面で湯屋の従業員全員が「大当たり!!」と、千尋が両親がここにはいないという事実に気づいたことに喜び、千尋が帰れることを祝福している。当初の千尋への接し方とは全く違う。千尋の成長ととも変わっていく周りの目や接し方などの変化も劇中で見て取れる。見方を変えることで、製作者の意図ではないかもしれないが、別の側面も見出せるのではないか。

後ろの方のメインではない神々達や歩く街灯、湯屋で働くものたちなども一人一人が魅力あふれるキャラクターである今作。僕のお気に入りは、映画のはじめの方に出てくる餅のような神様。

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劇中では大根の神様というで「おしら様」というらしい。その大きな体に合ってない赤いふんどしや柔らかそうな体など観るものに強烈な印象を残すおしら様。千尋に付き添い一緒に湯婆婆のいる階まで行ってくれる。なんて優しいのだろう。その後も千尋が名のある河の神を癒した時もニコニコしながら喜んでくれているのが劇中で写っている。おしら様の等身大クッションのようなものがあるのならほしいくらいだ。神といえばこの神。

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名のある河の神だ。千尋達によって、人間達の捨てたゴミから癒されることが出来た時に「よきかな」と一言いい笑いながら飛び去っていく。この神なのだが、小さい頃に本作を鑑賞した際、『もののけ姫』のタタリ神の顔と同じくらいのトラウマになったのを覚えている。今、鑑賞するとなんともないのだが、湯気の中から顔だけ出てくる様子が怖かったのだろう。やはり今見ても多少の怖さはあるかもしれない。

 

【ハク】

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千尋のことを様々な場面で助け、元祖壁ドンと言われたり何かと女性に人気な、準主人公のような立ち位置のハク。その正体は「ニギハヤミコハクヌシ」という川の神であった。釜爺の話によると、千尋と同じように突然現れ、湯婆婆の弟子になり魔法を教えて欲しいとせがんだそうだ。これをのちの千尋の話と組み合わせると、マンションで川が埋められてしまったため突然現れ、なんとか自分の場所を取り戻したいがために魔法を学びたいのだということが分かる。しかし疑問が2つ浮かび上がる。神様ならば、なぜ迎えられる立場ではないのかということと、なぜ千尋がそこらの川の名前を知っているのか、という2つの点である。

1つ目の「神様ならばなぜ迎えられる立場ではないのか」という点についてだ。そこらの小さい川の神だったからなのではないか、という声があるだろう。もちろん湯屋でもなんの神様かによって扱いの差があるだろうということはあると思う。しかし餅のような神のおしら様は、「大根の神」だ。その大根の神でさえもきちんとした接客はされ、丁重に扱われている。ではなぜハクは、神として迎えられなかったのか。僕は「マンションの建設で埋められた」からであると思う。何かの守護神であっても、その守るもの自体がないのならば、その守護神の存在自体も皆無となってしまう。なので僕は川がマンションに埋められたという時点で、ハクの「ニギハヤミコハクヌシ」としての存在はなくなった。つまり「ニギハヤミコハクヌシとしての存在の死」を表しているのではないかと思う。だから神として扱われないが、ある程度の地位は持つ存在になってしまったのだと思う。

2つ目の、ハクが自身の名前を思い出した千尋の「その川ね、コハク川」という発言について。なぜ千尋がそこらの名前の川を知っているか。僕は知らない。千尋が溺れた時は小さい頃だろう。その時に両親から川の名前を教えられたのか。千尋が川の名前を知っていたのは「運命」なのか。それとも映画の物語を作る上での「魔法」なのか。わからない。

 

カオナシ

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顔はあるけどカオナシという「カオナシ」。「山はあるけど山梨県」のような言い方だ。カオナシは本当に顔があるのか。僕はないと思う。この「顔」は仮面であって、実際は他の体の部分と同じように黒い塊なのではないかと思う。

欲を表しているという「カオナシ」。金をばら撒き最高のおもてなしをさせる彼。けれど何かが足りない。千尋カオナシの金を受け取らないのだ。カオナシは何としてでも千尋に受け取らせようとする。しかし千尋は「いらない」という。しまいには名のある河の神の泥団子を食べさせられ、元の姿に戻るカオナシ。最後は、湯婆婆の双子の姉の銭婆の元にいることにするカオナシ

他の人を食べたりするが、寂しそうにみえる。他の人に認めてもらいたいのだろう。欲の象徴で「カオナシ」は誰の心の中にもいるらしい。何かがどうしても欲しい。お金が欲しい。孤独。誰の中にも意識してはいなくても存在するもの。認めてもらいたい。という承認欲求。インスタグラムやTwitterなどでいいねされると嬉しくなる時の感じ。それら小さいことも「カオナシ」なのだと思う。うまく自分の中の「カオナシ」と付き合うことでより良い生活ができるのだはないか。カオナシに支配されてはいけない。支配されると誰からも認められなくなり、心が満足することはなくなる。存在することを認め、共に自分の中の「カオナシ」と生きていくのが最善の手段なのだと思う。

 

【都市伝説】

千と千尋の神隠し」でよく話題になるのが、その都市伝説。特に「ハクは八つ裂きにされたのかされていないのか」問題。【ハク】で書いたように、マンションに埋められた時点でハクは死んでいるのだと思う。行き場がなく、どうしようもないので湯屋で湯婆婆の元で働いている。八つ裂きにされたとしても、それは「死」からの解放なのではないかと僕は思う。マンションに川が埋められたということの「死」から湯婆婆に八つ裂きにされる2回目の「死」。2回目の死によってハクは湯屋から解放され記憶はなくとも別の形で神となり存在しているのではないだろうか。

 

【『君の名は。』との共通点】

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千と千尋の神隠し』の興行収入を超えることはできなかったが日本に旋風を巻き起こした映画『君の名は。』。公開直前に留学してしまったため映画館で観ることはまだできていない。(「まだ」というのは北米で4月に公開されることが決定したからである。)しかし小説は何回も読んだ。その上での意見だが、この2作。『千と千尋の神隠し』と『君の名は。』には共通点があると思う。

それは『記憶』という点だ。どちらの作品も想っている人の名前を忘れているということが同じではないだろうか。千尋がハクの存在はどこかで知っているような気がしているが具体的には思い出せない。しかし最後にはハクの名前を思い出し、自分の名前も思い出し(だいぶ前の場面だが)元の世界に戻ることができた。『君の名は。』では、お互いの存在に何かを感じ、最後にお互いの名前を聞く。「名前」・「記憶」という2つの点で共通しているのではないだろうか。

 

【総評】

 主人公の千尋目線で物語が進んでいくので話に入り込みやすい。ジブリ宮崎駿ならではの世界観。サブキャラクターの可愛さと面白さ。お互いに邪魔することなくあるコメディとドラマ。全てにおいて評価することのできる日本を代表する映画だ。

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いままでとは異なる観点で、『千と千尋の神隠し』を鑑賞してみてはどうだろうか。

何かを感じ取ることができるかもしれない。

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