インドネシア! ①羽田さまよい人編

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羽田空港。朝9時くらい。チェックインの3時間前くらいに着く。時間に余裕はあったはずだった。ガルーダ・インドネシア航空のカウンターへと向かう。カウンターは一番端にあって少し歩かなければいけない。スーツケースを滑らせながら歩く。周りは日本から何処かへと向かう人で溢れている。この国から逃げ出したいのだろうか(賢明な選択だと思う)。ビジネス?それともこれからフライトでミッションを受け取るのだろうか。

僕は旅行のような研修のような目的でインドネシアへと旅立つ。詳細まで書くと僕が僕自身であることがわかってしまうため(分かったところで何の問題もないのだけれど)インドネシアでの出来事をいくつかピックアップして書いていこうと思う。

 カウンターに辿り着く。同じフライトに乗り合わせる人々が並んでいる。30人くらいは並んでいるかと思う。そのほとんどがインドネシア人だろうと思われる。日本人は3人位しか並んでいない。カウンター上のモニターに何かが表示されている。もしかしたら並んでいる人が、僕も含めて、全員がエージェントでIMFが経費削減の為に、「ええいめんどくさいや、これが今回のミッションだい!」と大っぴらにすることにしたのかもしれない。モニターを見る。

ガルーダ・インドネシア航空のフライト〜便は機材故障のため搭乗時間19時55分を予定しております。」

旅行にはトラブルが付き物だ。パスポートを取られまいとお腹の周りにグルグルとケースを巻いてみたり、それでも盗られたり、バスが時間通りに来ないとか、ホテルで温水が出ないとか。けれど、それらは到着してからのトラブルであって、旅立つ前のトラブルではないし、もちろん日本でのトラブルではない。しかし運悪く、今回の旅の最初のトラブルは日本・羽田空港から始まった。とりあえず待ってみる。アタフタしたところで何か変わるわけではないのだ。19時に出発するなら、それまで待とう。瞑想でもしてようか。

 するとガルーダ・インドネシア航空が(あるいはANAが)5000円の現金と2000分の羽田空港内で使える食事券をくれるようだ。特に物凄く急いでるとか、そういう訳ではないので、それらを受け取る。さてどうしよう。何かを買ったところで、こらから旅に出るのだから荷物を増やしたって仕方がない。何か食べたところで機内食が出るのだからいいや、と思い、とりあえずスーツケースを預け、空港内をふらふらする。

書店へと向かう。機内は暇だ。最近は席前方のモニターで映画やドラマを観ることができる。けれど、何しろ迫力がないし、ブルーライトに浸かっているような気がする。離陸して目を馴らすと何となく痛むのだ。だから最近は観ないことにしている。
本を読むことにした。いくつか本がバックパックの中に入っているけれど、5000円で何か買おうと思い立つ。古書店で中々見つからないような本がいい。雑誌は買ったところですぐ読み終わってしまう。文庫本を3冊購入する。伊右衛門のカフェに入り、インドネシアについてのガイドブックを読む。

 

インドネシア!②へ続く

『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』レビュー

 

シアターの明かりが付き、観客が席を立ち始める。誰も何も言わない。後片付けをして、シアターを後にする。まだ誰も何も言わない。この映画は、そういう作品だった。

 

*このレビューでは『アベンジャーズインフィニティ・ウォー』の内容に触れています。未鑑賞の方には、ブラウザバックを推奨します。

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テトリスと赤煉瓦の都市

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インドネシア、ジョグ・ジャカルタ上空。飛行機の窓から下方を眺めると、赤煉瓦の屋根が広がっていた。澄んだ青空と煉瓦のコントラストが美しい。何だか、フィレンツェに見えないこともない。赤煉瓦の秩序を乱す屋根はたまに現れる。トタン屋根だ。煉瓦、煉瓦、煉瓦、トタン、煉瓦、トタン。というような感じで秩序が乱されていく。

日本、東京上空。空港を出て、1週間振りに東京の(といっても羽田周辺)風景を見た時、そのまま下に落ちたテトリスのブロックみたいだなと思った。トスン、トスン、トスン、四角いビルが沢山落ちている。テトリスは色彩で溢れている。けれど、東京というスペースで繰り広げられるテトリスは大抵モノクロームだ。グレー、グレー、グレー。偶に白とかこげ茶とか。無機質で、建物から気怠ささえ感じる。

 

飛行機の窓から見ることのできる屋根の色は、その国の気質が現れるのかもしれない。インドネシアの人々はフレンドリーで、会釈だけでなく合掌?もしてくれた。言葉が通じずとも笑顔で、ケ・セラ・セラ的な雰囲気があった。赤煉瓦の温厚な色。
東京に住む人々は、基本的にお互いに無関心あるいは無関心を”装っている”。好奇の目を他者に対して向けるが、それは決して迎い入れるとかそう言ったポジティブな感情からではなく、大体は自分の理解を逸脱した行為に対するネガティブな感情から起こる視線だ。ビル、ビル、ビル。スーツ、スーツ、スーツ。グレー、グレー、グレー。東京は歩くテトリスで埋め尽くされている都市なのかもしれない。

『シッダールタ』ヘルマン・ヘッセ:書評/感想

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『シッダールタ』
著:ヘルマン・ヘッセ
訳:高橋健二
新潮文庫

 

インドネシアのボロブドゥール遺跡を訪れることが決まっていた。何かしら予習してから行こうと思い立ち、神保町で、何か良い本が無いかなと探していた。するとヘッセの『シッダールタ』があった。ボロブドゥールにブッダの一生を描いたレリーフがあることは知っていた。ヘッセの他の著作は『デミアン』を読み終わり、『車輪の下』を読んでいる途中で、彼の書く物語の進み方や文体なども気に入っているので、読んでみようと思った。

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何度目かのブログ名変更【BLOG】

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4月になりました。

新宿御苑で桜でも見ようかと思いましたが、ものすごい行列でしたのでやめました。

何度目かのブログ名/アイコン変更を行います。最近(物凄く最近)「砂の上のシェパード」という名前に変更しましたが、また"ブログ名変更したい病"が発症してしまいました。パワーポイントでアイコンの作成をしていました。けれど、きっとまた変更したくなるのだなと思うとやる気も湧いてきませんでした。そこでいっその事、ブログにしてしまえばいいのだ、と思いつきました。

新ブログ名:BLOG

新アイコン:グレーイッシュな背景にBLOGという文字。

以上のようにしました。筆者のことはなんとでも呼んでください。「筆者」でもいいし、「BLOGを書いている人」でもいいし、「中の人」とでも。ともかく、このブログはBLOGになった、ということのお知らせです。

どうぞ、宜しくお願いします。

乗客、人、あるいはお客さん

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地下鉄に乗っていた。いつも通りにドアの横の手すりに寄りかかる。この「ドアの横の手すり」というのは、電車内でもまあまあ人気のスポットだと思う。一番の人気スポットは勿論、座席。結構前、僕の隣の席が空いた瞬間に

左側から紙袋を3個くらい持った50、60代くらいの女性が、右側から40、50くらいの男性が、座席めがけて走って来た。文字通りに「走って来た」のだ。そして僕の目の前で第二次ビッグバンが起こり、全ての惑星、銀河が無となった。普通ならここで
「あら、ごめんなさい。私としたことが」
「いえいえ、こちらこそすみません」
「どうぞ、お座りください」
「いいえ、あなたがお座りください」
みたいなシーンが展開されるはずなのだけれど、この2人は違った。何と睨み合ったのだ。一匹のネズミを巡って2匹の蛇が睨み合ってるみたいに。結果的には右側から来た蛇がネズミを勝ち取った。電車はこのように人の欲求みたいなものが顕著に現れる、ミステリアスな四角いアルミ製の人間運搬物だ。電車に乗る乗客は、自らが望む場所に行きたいから電車に乗るのであって、決して動くホテルに乗っているわけではない。

東京地下鉄株式会社は東京およびその付近で地下鉄を経営する鉄道事業者である。

wikipedia

 サービス業とは一言も書いていない。しかし乗客が乗客を「おもてなし」すれば話は別だ。
5人の子供を連れた3人の母親が、ある駅から乗って来た。子供は騒ぐものなので、別に騒々しくても構わないのだけれど、騒いだ時に母親の1人が「お客さんに迷惑だから、やめなさい」と。普通なら「人に迷惑だから」とか「乗客に迷惑だから」とか言いそうだけれど、彼女は「お客さん」と言ったのだ。街を歩いている分には只の通行者だが、その通行者が電車に乗ると見方によっては、お客さんになるようだ。
素晴らしき、おもてなしの国。おもてなし精神が一般国民にまで浸透しているようだ。

インドネシアにいったい何があるというんですか?

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「何でインドネシアなの?」そう聞かれた。村上春樹の紀行文『ラオスにいったい何があるというんですか?』はきちんと読んでいないし、持ってもいない。けれど発売された当時にあらゆる書店が目立つようにポップやら何やらを駆使して売り出していたのを覚えている。半身の仏像の前に寝そべる犬のこともよく覚えてる。ラオスについて書かれた章の最初に確かこのようなことが書かれていた気がする。『「ラオスに何をしに行くんですか」という文脈の中に「ラオスにいったい何があるというんですか?」というような質問があるような気がした』正確ではないがこんな雰囲気のことが書かれていた気がした。そして一昨日僕も友人に「何でインドネシアなの?」と聞かれて、笑みがこぼれてこぼれてカーペットに染みてしまうくらいに笑みがこぼれてしまった。確かに実際に言われてみると「インドネシアにいったい何があるというんですか?」というように聞こえるからだ。

 

3月22日から、1週間ほどインドネシアを訪れる。インドネシアに何をしに行くのかというと研修と旅行を兼ねたようなことをしに行く。細かくいうと僕が僕自身であることが割れてしまいようなので、あまり言わないことにするけれど、ジョグ・ジャカルタというところへ行く。もちろんボロブドゥール遺跡にも行く。インドネシアジャカルタは、その場所柄、海上交易の中心地として利用されてきた。オランダ領東インド国家の中心都市としてジャカルタバタヴィアは発展してきた。日系企業も多く進出しているらしい。フライト中に本をいくつか読んでいこうと思う。読了したインドネシアに関する本の中に面白い本があったので機会があったら記事を書こうと思う。現地では日記を書くので、それを紀行文のような形で記事にもできたらと思っている。

では Selamat tinggal!

『Mr.ホームズ 名探偵最後の事件』レビュー

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Mr.ホームズ 名探偵最後の事件

“Mr.Holmes”

(2016年/監督:ビル・コンドン)

 

世界には数々の「名探偵」がいる。デュパン、ポワロ、明智小五郎、そしてシャーロック・ホームズ。ホームズとワトソンは、ホームズの冒険談を読んだことがなくても誰もが知っていると思う。

“ジョン(ワトソンのファースト・ネーム)は、私を「名探偵」としてしか表現することが出来なかった。それ以外の、事件を解決する時以外の、私の姿を知らなかったからだ。”

本作は、ある事件をきっかけとし、引退した老シャーロック・ホームズについての物語だ。

僕等がよく知っている頭脳明晰な名探偵シャーロック・ホームズは、彼自身からそして世間からもフェードアウトし始めている。ジョン・H・ワトソンが”創作”した「名探偵シャーロック・ホームズ」が、その有名な鹿撃ち帽子とパイプのイメージのみが歩き続けている。
ホームズが現実にいた(あるいはいたのかもしれない)という設定で語られるホームズの物語は近年増えている。ワトソンを女性の設定(ジョン・ワトソンジョーン・ワトソンをになっている)にして、舞台をアメリカに変更した『エレメンタリー』。シャーロック、ジョンを、また数々の彼らの冒険談を現代的に解釈した、ベネディクト・カンバーバッチ主演のBBC制作ドラマ『SHERLOCK』(このドラマは本当に面白い)。その中でも今作はシャーロック・ホームズその人のイメージを覆すことなく、極めてリアリスティックな(しかしワトソンの創作は馬鹿馬鹿しいものだと否定する)ホームズ像を描いている。

 

養蜂を通じ、ローヤル・ゼリーについて研究し、山椒を求め日本まで出向くホームズ。これら全ては自分、シャーロック・ホームズという人間が老いという殺人鬼の犠牲になりかけているからだ。その姿は見えず、自分自身に内在する。そのような敵を前にして、ホームズは立ち向かうのだが、流石のホームズでも打ち勝つことは出来ない。医者に何かを忘れたら、日記に黒丸を書くように言われ、それに従うホームズ。医者が彼の元を訪れ、日記を開くと毎日あらゆる大きさの黒丸が複数個書かれていた。この場面は視覚的に衝撃をもたらし、また前述したように老いによる記憶の衰えには、あのシャーロック・ホームズでもっても勝てないことを物語る。

 

今作は大きく3つに分けられると思う。「老人と少年」「最後の事件」「山椒」。それぞれの物語はとても良く出来ていたと思う。けれど3つの物語は、伊坂幸太郎作品の様にパズルの様にカチッカチッとはまるわけではなく「ああ何となく、まあ言われてみれば繋がってるかな」くらい。もし3つの物語が完璧に1つの物語に合流していったならば本当に素晴らしいホームズ映画になったと思う。

まず「老人と少年」としての物語。これは一番良かった。少年の名はロジャー(マイロ・パーカー)といって、何となくピーターパンらしさがある。ロジャーの母親は「偏屈な」老人であるホームズに息子が近づいて欲しくない。しかしロジャーはホームズに惹かれていく。またホームズもロジャーの好奇心旺盛な態度に対し。このロジャー少年は、若きシャーロック・ホームズでもあり、ホームズを支えたジョン・ワトソンでもある存在なのだと感じた。しかしある事件をきっかけに母親との関係に変化が訪れる。この場面はホームズの感情を持つ人間としての側面が深くエモーショナルに描かれている。サー・イアン・マッケランの演技がそれをより引き立たせ、よりリアリスティックに描き出した。

2番目の物語「最後の事件」。死者との対話が鍵となるスーパー・ナチュラルな事件にホームズが挑む物語。2人の子供の死から始まるこの物語は、重厚な雰囲気を映画全体にもたらしつつも、ミステリーものとしての物語に物足りなさを感じた。しかし、この事件が「解決」されるある出来事は数あるホームズの事件でも悲劇的で、ホームズもその傷を負うこととなる。

3番目は「山椒(prickly ash)」の物語。ホームズが長年研究している蜂蜜よりも山椒の方が記憶に良いという結論に達し、ユーラシア大陸の西端の島から東端の島を訪れる。そして日本での虐殺の案内役?を真田広之が演じている。日本の風景が中国ぽかったりするのは仕方がない。けれど日本を訪れる場所が広島であるので原爆についても触れられる。そしてその場所で真田広之が山椒を灰の中から発見するのだけれど、この時のホームズの描写には心を打たれた。立ちすくみホームズらしからぬ表情をしている。火傷を負った少女や黒い残骸。ホームズの陰にイアン・マッケラン本人の姿が垣間見えたような気がした。真田広之にもホームズに関連する物語が隠されているのだが、単独で成立しているのです、他の物語とあまり関連性がないのが少し残念。

 

ワトソンのいないホームズ映画を観るのはとても新鮮だった。その分シャーロック・ホームズという人間に重点が置かれ、探偵には欠かせない記憶が薄れ、消滅していくかもしれない恐怖。それに立ち向かう姿。自分を尊敬する少年と、その母親との交流。過去に起こった事件の傷跡。シャーロキアンならば失望はしない作品だった。腕についた三本の傷跡を見て『バスカヴィルの犬にやられたみたいだ』といったり、原作を読み返して再び鑑賞すると新たな発見や印象をもつかもしれない。良い映画だった。